安心毛布でくるんでおくれ。


新年早々くちびるが乾燥しすぎて、2016年はじめての買い物は福袋でもSALE品のコートでもなくNIVEAのリップクリームでした。


みなさま明けましておめでとうございます。

31歳は潤いを大切にしていきます。


おばあちゃんとお赤飯

札幌における雪というのは、評判の悪い親戚のようなものだ。といったのは村上春樹だった気がするけど、雪のない東京での年越しというのも、親戚が集まったのに誰もお年玉をくれなかったかのような物足りなさを感じるものだ。

正月になると、小さい頃は毎年家族で田舎の祖父母の家に集まり、食べきれないほどのご馳走をほおばり、数え切れないほどのお年玉をもらって、みんなでお札の数を数えたりした。

普段なかなかお札を数えるなんてことしないから、とにかく当時のぼくには数え切れないくらいの大金に感じた。

ぼくは、ばあちゃんの作るお赤飯が大好物だった。

子供たちがたくさん集まると、決まってばあちゃんはお赤飯を炊いて、ちょっと多いくらいの量をよそっては、ほれあんた食べなさい、と言ってくる。

社会人になってからたまに帰っても決まって、あんたまた痩せたんじゃないのかい、と言いながら、食べきれないほどのご馳走とお赤飯をよそって、ほれ食べなさい、と言ってくる。

そんなばあちゃんが、昨年の3月に他界した。

90歳近くまで人生を全うした大往生だったし、全国から孫やひ孫たちも勢揃いして見送ったから、ばあちゃんも悔いなく天国に行けたと思う。

けれど、もう二度とあの温かくてほくほくのお赤飯は食べれない。台所からひょっこり顔を出して、ほれ食べなさいと言ってくれることはないんだ。

そんなことを夜寝る前に考えていたら、正月早々、涙がこぼれてきて止まらなくなった。

人の死というのは、生前関わった人の目の前から本人は去るが、記憶や思い出だけは残していくという罪なもので、悲しみは拭い去ったと思っていても、ふとした時に故人が目の前に現れては手を振って去っていく。

人の価値というのは、どれだけお金を稼いだとか、どれだけたくさんの人と知り合いだとかいうことよりも、死んだあとにどれだけの記憶の瞬間にまた現れることが出来るか、ということなのかもしれない。

今思うと、とにかく弱音や愚痴や悪口などをばあちゃんの口から一切聞いたことがなかった。

どんなに自分が辛くてもその現実を受け入れ、最後まで他人のことを心配する。そんなばあちゃんだった。

そんな風に強くたくましく、そして誰かの記憶に残っていけるような人に、ぼくもなりたいと密かに誓った2016年の幕開けであった。

公私一体最大化

2015年は、公私一体をテーマに「仕事・健康・家族の三本柱を太くする」ことを目標としてこれからの働き方のスタンスを決める一年にしようと決めていた。


結果として、仕事においては複数の軸が交差していた年初から、ようやく一本の軸が定まり、社会人10年目を迎えるにあたり、はじめて腰を据えて学んでいきたい方向性を見つけることが出来た一年となった。

健康においては、内勤が増えて定期的に体を動かすことが不足していたので、完全に体力が落ちた気がするが、大きな怪我や病気をすることなく、体重の増減もここ数年で±1kgに抑えることが出来ている。


家族については、成長著しい4歳の息子との遊びの幅が広がり、サッカーやキャッチボール、自転車、プールだけに留まらず、なぜかカラオケやボーリングにハマって2人でよく通うようになり、男同士の絆が深まった。

そして仕事場に連れて行く機会や仕事友(シゴトモ。一緒に働く同僚たち。)に会わせる回数も意識的に増やすことが出来たんじゃないかと思う。


反省も死ぬほどあるが、2016年になって変わらず思うのは、仕事とプライベートはやはり切っても切れない関係であり、とはいえどちらかを理由にして妥協するべきでもないということだ。

守るべきものがあるということは、どちらかが崩れると歯車が一気に狂ってしまう一方で、うまく噛み合ったときの稼働力は凄まじいものがあるはず。

現状に甘えず、妥協せず、満足しすぎない。


これまで通り公私一体最大化をベースに、2016年はこれを念頭に置いて頑張っていきたいと思う。

弱音を吐きそうになったときには、ばあちゃんのことを思い出して赤飯でも食べて踏ん張ろう。

それでは皆さま、2016年もよろしくお願い申し上げます。


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