寛容であれ。

最近、ちょっと世の中が他人の失敗に厳しすぎやしませんか。

2016年の締め括りは、そんなテーマでまとめたいと思います。


今年も残すところあと1日。

思い返すと芸能界からビジネス界隈まで古今東西ありとあらゆる人たちが叩き叩かれの謝罪合戦を繰り広げた一年であったように思います。

揚げ足を取ったり、自分自身を棚に上げて文句ばかり言う人たちの意見がフューチャーされ、あたかもそれが世論であるかのような空気をマスコミが作り出していました。

もちろん、法律を犯したり、誰かを傷つけたりすることはダメなことだし、それを擁護するつもりは毛頭ないのですが、果たして自分にとって本当に怒るべき対象はどのくらいあるのだろう、ともう一度胸に手を当てて考えてみてもいいんじゃないかと。

日々生活をしていく上で、周囲を見回してみるとありとあらゆる場所で人は怒っています。

テレビのコメンテーター、満員電車のサラリーマン、道端のカップル、寝不足の妻。

果たして皆、何に怒っているのでしょう。


閑話休題。

今年観た「怒り」という映画は、個人的に2016年最も心に残った作品でした。

この映画を観終わったあとに残るのは、悲しみややり切れなさ、憎しみや諦めなどの様々な感情です。そしてそれら全てを包み込むようにして「怒り」が存在する。怒りの正体が何なのか、輪郭がぼんやりと少しずつ見えてくる感覚に陥りました。

つまり、怒りというのはその前に別の感情が存在し、その感情を経て怒りに到達する、極めて人間的な感情であると言えます。

しかし、その怒りをむやみやたらに発信しまくると、途端に動物的になってしまうという皮肉。

動物にあるのは快か不快かの感情で、大脳新皮質が発達している人間にしかない感情が怒りだとするならば、その怒りをコントロール出来てこそ人間的なのでないか。

僕は普段あまり感情を露わにすることが少なく、アマゾン川よりも広い心と揶揄されたことがあるくらいなのですが、自分では特段優しいとは思っておらず、せいぜい神田川くらいじゃないかと思っています。

ただ、一方で"寛容"ではあると思います。


寛容とは…心が広くて、よく人の言動を受け入れること。他の罪や欠点などをきびしく責めないこと。(goo国語辞書より)

怒りというのが、期待値と現状とのギャップから生じるのだとすると、おそらく過剰に相手に期待しすぎず、人の考え方や価値観は自分と違うと理解したうえでコミュニケーションをとっているので、そもそもがっかりしないというのはあるかもしれないなと。

ある意味、相手を信用しきっていないのだとすると、そういう意味では優しいというより厳しい人なのかもしれません。

もちろん近い存在や信用している人には期待値が上がる分、怒ることもあります。

その理屈を適用すると、芸能人の不祥事においても、そもそも期待値の高い(好感度が高い、人が良さそう)ベッキータイプは余計に叩かれるというのも理解が出来ますし、ファンであればあるほど裏切られた感覚が大きくなり憎悪に変わってしまうというのも納得がいきます。

最近では、アンガーマネジメントとかマインドフルネスというような心を整えるための考え方やスキルがスポーツやビジネスにおいて積極的に取り入れられていて、個人的にも興味深い分野です。

ここら辺をマスターして社内研修に取り入れたりコーチングとか出来るようになりたいと密かに企んでいたりします。

まとめると、

人に期待しすぎない。


そして

人の失敗を責める前に、自分を見つめ直す。


この精神を忘れずに、2017年も寛容に乗り切りたい。

なのでどうか来年、僕がたくさん失敗しても、ぜひ寛容に見守ってやってください。

2017年の抱負はまた別の機会にでも。

良いお年を!

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